学童クラブ

ぶどうの枝

が考えていること


4月は一年生はもちろん、上級生もあらたな人間関係を築くのに不安定になる時期です。十分に配慮していきたいと思います。まずは疲れて帰る子供たちをせいいっぱいの笑顔で迎えることから。

喧嘩も涙もあります。人間と人間のつながりですもの。
そうして関係を深めていきます。人と交わることを学んでいきます。お互いの話を聞き、そんなときはこうしたらいいよとアドバイスしています。
子供の喧嘩は素敵なんです。「ごめん」って謝った瞬間から笑顔で遊びなおすことができるんです。大人じゃこうはいきません。
3月に入ってから1日1人ずつ、おやつの時間に良いところを発表しあっています。
「自分の良いところは何だと思う?」
と聞いても答えられない子が多いです。でも、周りの子は、ちゃんと分かっていて、色々と発表してくれます。
「笑顔がかわいい!」
「話し方がやさしい!」
「お片づけが上手!」
「ごめんねってあやまってくれる。」
点数で計るのでもない、人と比べるのでもない、宝物を、皆、心の中に持っています。その宝物をみんなで認め、高めあいたいと思っています。
芦城公園に遊びに行きました。きんもくせいの香りの中を・・・。
「いいにおいねえ。」と私。
「きんもくせいだよ、あそこにあるよ。うちのお庭にもあるよ。お母さんも言ってたよ。いいにおいって」とAちゃん。
あくせくと時を過ごしていると豊かな自然の働きを見逃しがちです。Aちゃん母子のように二人で共有できたら幸せですね。
 Z君は近所の作業所に通う養護学校高等科を卒業したばかりの男の人です。お友達が欲しくって集義堂に顔を見せるようになりました。最初、子供たちはからかったりふざけて逃げたりしました。そこで皆に話しました。
 「人にはできることとできないことがある。すこしづつできることを増やしていくのが成長である。Z君は皆よりできることは少ないかもしれないが、みんなは先生よりできることが少ない。でも、先生は決して皆のことをからかったりしない。それは人間としてしてはいけないこと。Z君は上手に話せないけど電車が大好きでなんでも知っているんだって。お友達になってあげよう。」と
 子供たちの態度がいっぺんに変わりました。
「ねぇ、なんていう電車知っとる?」
「いくつや?」
 Z君を見かけると声をかけて握手します。
 そして金曜日、Z君は子供たちに電車の時刻表をコピーしたものをくれました。
「大切なものをあげるなんてよっぽどうれしいんやわ、この学童の子達は本当に優しい子達やね。お行儀もいいね」って、いつも、Z君といっしょについて来ている指導員のYさんに言われて、よそいきの顔ですまして見せるかわいい子供たちでした。
 この夏子供たちはちょっぴり世界を広げました。

お互いを認め合う心が(Xさんより)
昨日の“ぶどうの枝だより”を見て・・・・
子供達に人間としての大切な事、お話をして頂き有難うございます。
私も子供達に時々そのような話をする事があります。
人には、背の高い人、低い人、細い人、太い人、走るのが速い人、遅い人、色の白い人、黒い人、本当に色々な人がいる事、それを違いといて見るのではなく、個性として見、できる人はできない人を助け、できるのが偉いのではなく、お互いを認め合う心が大切なのだと思います。
色々な人がいて当たり前、何ができるのではなく、1等、ビリではなく、それに至るまで、どれだけ頑張れたかだと思うのです。人を思いやれる心、頑張る心、私達も大切にしたいですね。


皆、お母さんから生まれてきた(Wさんより)
Z君のお話、娘にも聞きました。
「電車が好きで、ひらがなや漢字はうまくできなかったみたいだけど、電車で分かるようになってんと、すごいよう、おっきいお兄ちゃんねんよ。」と。
娘の口から出てくる言葉にドキドキしながら聞いていましたが、先生の話をしっかり聞いてきたようで、母の思いと違う言葉は一つも出てきませんでした。
色々な人がいて、皆、同じ人間で、お母さんから生まれてきた事、分かって欲しいです。
Z君も娘に色々と考えることを与えて下さいまして有難うございます。


お二人のお母さんによって、私の文の足らないところを補っていただいたように思います。心から感謝して、皆さんにご紹介しました。
子どもを不幸にするのは簡単だ。ほしがるものをすべて与えてやればいい
フランスの哲学者ルソーの言葉です。なんとも奥の深い、でも分かりやすい言葉ですね。

けなされて育てられた子どもは、他人の批判ばかりするようになります。
敵意に満ちた環境で育てられた子どもは、好戦的になります。
ひやかされて育てられた子どもは、内気で臆病になります。
屈辱的に育てられた子どもは、いつも後ろめたい気持ちをもつようになります。
励まされて育てられた子どもは、自分に自信をもつようになります。
誉められて育てられた子どもは、他人の価値を認めるようになります。
公正に育てられた子どもは、正義感を持つようになります。
安心できる環境で育てられた子どもは、他人に対する信頼感を持つようになります。
自分の価値を認めて育てられた子どもは、自分を大切にするようになります。
友愛の中で育てられた子どもは、世界中に愛を見つけられるようになります。

 アメリカ先住民の教えです。自分の子はどれに当てはまるかなあと思うと、胸が痛む思いもいたします。子育てに成功や失敗があるとは思えません。子どもは親の言うことはしないけど、親のすることはするといわれます。人間が人間を育てる、だから自分が接して欲しいように子供たちにも接する。そんな気持ちを持っていたいです。
 5月1ヶ月、「宿題をしよう」としつこく子供たちに言い続けました。当たり前のようにする子もいれば、何とか逃れようといろいろ言い訳をする子もいます。がんばってやり終えると後は思い切り遊べます。 
 家に帰ってからも、忙しいお母さん方が「宿題しなさい。」の変わりに、「一緒にご飯のしたくしようか。」「一緒にお風呂入ろうか。」と言えれば、豊かなふれあいの場が開けると考えています。
 6月もしつこく、「宿題!」といい続けたいと思います。
 1年間を振りかってみて面白いことに気が付きました。
 お母さんが迎えに見えたときの一変する子供たちの態度です。
 それまで楽しそうに遊んでいた子供たちが急に、ブスッとして怒り出したりお母さんに突っかかって行ったり、泣き出したり、中には床で暴れだす子も。
 楽しい遊びを中断しなくてはならないからかなとも思ったのですが、そうではないと思います。お母さんに最大限のわがままを示して甘えているのだと思います。小学生になればいつお母さんに甘えられるか分かります。お母さんが家事と仕事と他の兄弟から離れて自分を迎えに来てくれた時、この時子供たちは大好きなお母さんに手を尽くして甘えるんじゃないかな。いっぱい甘えさせてあげてください。お母さんの愛とエネルギーを充電したらまた子供たちは遊びに飛び出すでしょう。
 お母さんは子供たちの自慢です!
 働いていることで子供に寂しい思いをさせているのではないか。「おかえり」と迎えてやれないことに申し訳なさを感じているお母さんもいらっしゃるのでは。でも安心してお仕事に励んでください。一生懸命がんばるお母さんを子供たちは言葉に出さなくても応援しています。
 あるおやつ時、誰からともなくお母さんの仕事について話したことがあります。「うちのママなんか夜の3時までお仕事しとれんぞ。」等等。お母さんのお仕事について話す子供たちの顔はとても自慢げでした。
 おかあさんの代わりにはなれないけど、私たち心を込めて子供たちを「おかえり。」と迎えたいと思います。
金子みすずの詩にありましたよね。
「みんなちがって、みんないい。」

直線上に配置

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
ヨハネによる福音書第15章5節  (C)日本聖書協会

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